2022/06/15
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レポート 弁護士 吉田理人
サロン・ハウリン第4回のゲストは、「国境なき医師団」(MSF)で活躍されている看護師の白川優子さんでした。
白川さんは、2010年からMSFに看護師として登録され、これまで紛争地を中心に計18回にわたって派遣されてきました。現在では、MSF事務局職員として勤務しています。
MSFでの現地での活動をまとめた書籍『紛争地の看護師』を2018年に出版。今年4月には、2冊目となる『紛争地のポートレート「国境なき医師団」看護師が出会った人々』が出版されています。
第一部では、これまでの経歴とMSFの組織の仕組みなどのお話をうかがいました。
白川さんがMSFを知ったのは、小学校1年生くらいの頃、テレビのドキュメンタリー番組を見たのがきっかけで、幼いながら、人種差別を乗り越え、医療を提供するという姿が心に刺さり、それ以来ずっと憧れの存在として心に残っていたとのことです。
看護の専門学校を卒業後、一般の病院に就職。看護師として3年ほど勤務した頃にMSFに参加することを決意しますが、英語の壁にぶつかり、このときは参加を断念。それでも諦められず、30歳目前で、オーストラリアへ留学。
この時、留学するか、MSFへの夢をあきらめるか迷っていた時に、母親から「今やらなければ、あなたは40歳になっても50歳になっても同じことを言っているよ」と言われ、背中を押してもらったという素敵なエピソードも聞けました。
オーストラリアでは看護師として病院に勤務し、永住権も取得するなど、とても充実した7年間を過ごしていましたが、だんだんと自分は本当にやりたいことができているのだろうかと虚しさを感じるようになり、当初の夢の実現を目指して、日本に帰国することを決意。帰国後、すぐに面接を受け、無事登録。37歳で、MSFでの活動をスタートさせることになります。
2010年の登録以降、これまでシリア4回、イエメン4回、イラク4回など計18回にわたり海外に派遣されたとのこと。2018年には現場からの引退も視野に入れつつ、MSFの事務局職員として人事の仕事などをしてきましたが、再び2021年8月には、タリバンが支配するアフガニスタンに派遣され活動したとのことでした。
MSFは、世界で500近い現場に医師団を派遣しており、紛争地のほかに、感染症の流行地域、自然災害の被災地などにも派遣しているとのこと。その中で、白川さんは、外科が専門であったため、外科的な医療へのニーズが高い紛争地へ派遣されることが多くなるということです。
MSFは、紛争地でも、敵、味方、戦闘員、一般人の区別なく、患者の受け入れを行っているとのことですが、運び込まれる患者の9割以上は、戦争と関係ない一般人で、中には人間の原型をとどめていないと言ってもいいような状態で運び込まれてくることもあるそうです。
最近またウクライナで戦争がはじまり、時代が変わっても戦争は起こるんだという思いとともに、テレビニュースで報道される死傷者数や勢力地図などを見て、戦争はそういう数字や地図ではないということ感じているとのことです。今の日本で、戦争を身を持って体験している人はほとんどいない。そういう中で、戦争がなぜよくないのか、戦争によって一般人も、大人も子供も、妊婦も、区別なく傷ついていくという自分が見てきた戦争の姿を伝えなければならないという思いを強く持っていると力強く話されていました。
MSFは、医師や看護師の他に、安全に医療を提供できる場所を確保するためにたくさんのスタッフが関わっており、現地での活動の承諾を得るための政府や有力者との交渉や、物資の手配、現地スタッフの雇用などを担う数多くのロジスティシャンの努力があって初めて成り立つ活動だと、外からはあまり見えないMSFの活動の裏側の話も聞けました。
また、現地で活動するスタッフの派遣時の給与は、医師や看護師、ロジスティシャンなどの業務に関係なく、月額17万円で、現場の危険度なども関係なく一律に決められているとのことでした(現地での活動費、生活費は別に支給され、経験によって昇給ありとのこと)。
白川さんは、自分と同じようにMSFに入りたいという希望を持った人たちの手助けをしたいという思いがあり、現在のMSFの事務局職員としての人事・採用の仕事もすごく充実しているとのことでした。
白川さんの経歴からMSFの活動内容など幅広く話を聞いて、第1部は終了。
配信終了後の第2部では、まず、2021年にアフガニスタンに派遣された後の帰国時のトラブルの話からスタートしました。
帰国時に、日本政府が指定したコロナウイルス陰性証明の書式にサインをもらうことができず、代わりに現地の証明書を見せるも、それでは日本に入国できないと帰国便の搭乗拒否にあい、結局1週間にわたり空港でホームレス生活を送ったとのこと。病院スタッフとケンカしながら苦労してようやく手にした日本政府指定の陰性証明書も、成田空港で職員に提出すると職員は書面の内容を確認もせずにそのまま回収箱に入れ、一瞬でコントロールを通過。こんなことのために苦労してホームレス生活までしたのかと悲しくなったと、形式重視の日本の行政対応らしさを感じる悲喜劇譚が聞けました。
また、MSFの資金集めの話となり、日本では寄付文化が根付いてないというが、MSFは、現在、日本国内で年間100億円の寄付を集めているという話を聞いて、会場の参加者も驚き。
環境団体などは、活動資金集めに苦労しているのに、なぜそのような高額な寄付が得られるのか、参加者一同興味津々で話を聞いていました。
白川さんが、紛争地で活動を続けるうちに、MSFの一員としていくら医療活動をしても戦争はなくならないと思い、ジャーナリストに転身しようと本気で思ったときの話も聞くことができました。ジャーナリストになることを周りの人達に宣言すると、みんなから反対され、悶々としながら再び紛争地に派遣されたところ、現地で心を閉ざしていた少女が、あるとき笑顔を見せてくれたという出来事をきっかけに、看護師としての役割や看護師でなければできない活動があることに気づき、MSFとして活動を継続する決意を新たにしたというエピソードは非常に印象深いものでした。
第2部でも、団体の資金調達や広報に関するトラブルなど、なかなか聞けない団体の事情や、シリアで緑色の水を飲んで腸が強くなったが、帰国後に日本で感染症にかかった話など面白い話がたくさん聞けました。
白川さんが笑顔で明るく話をされている姿からは、紛争地という極限状態の現場でMSFの一員として生死と向き合っている姿は想像できません。ただ、話を聞いているうちに、普通の日本人が想像できないような、生死の現場に立ってきたからこそ抱える強いジレンマや憤りがところどころで滲み出てくるようで、その話にどんどん引き込まれていきました。
白川さんの話を聞いて、世界の紛争地などでは毎日悲惨な光景が繰り広げられているということを忘れずに、平穏なこの生活を守るために何ができるのか、何をすべきなのかということを、みんなが問い続けなければならないということを実感しました。