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レポート 弁護士 菅野典浩



今回は12年目の3月11日にふさわしく、『ルポ母子避難 消されゆく原発事故被害者』(岩波新書)等の作者である、フリーライターの吉田千亜さんを迎え、ノーニュークス権(原子力の恐怖から逃れる権利)を含めた原発事故の問題を振り返るところから、サロンハウリン2年目のスタートを切りました。



吉田さんは大学卒業後、同僚との結婚を契機に勤務していた出版会社を退職し、本格的に作家への道を進まれました。
そして、東日本大震災の避難者支援活動をしている中で、和田秀子さんが立ち上げた「ママレポ」という避難者の親子向けの雑誌や、自らも自宅のある埼玉県に避難している人たちへの情報誌「福玉便り」などの編集・執筆にかかわるなかで、いわゆる「自主避難」者への住宅の無償提供が打ち切られるという切迫した状況を世に伝えたい、子どもを被ばくから守りたいと母子避難したお母さんたちの悲鳴を聞いてほしい、という思いから取材を続け、「自主避難」者の声をまとめたルポルタージュとして『ルポ母子避難 消されゆく原発事故被害者』を出版されました。

また、地震と原発事故による混乱と恐怖の中、最前線で活動され、避難により人がいなくなった地元を守り続ける双葉消防本部の消防士を取り上げた『孤塁 双葉郡消防士たちの3・11』は、事故直後のデータをもらうために双葉郡の消防署を訪れた際、たまたま、消防署内で後進への記録として残すため作成された消防士の手記を読んで、一人一人に話を聞きたいと思ったことが取材を始めたきっかけでした。
吉田さんが取材を始めた2019年は、事故当時勤務していた125人の消防士の半分くらいが残っており、消防署も勤務時間内に取材に応じるなど、いろいろと便宜を図ってくれたそうで、吉田さんも週の半分を現地での取材に費やすこともあったほど足しげく通って話を聞いたそうです。
吉田さんはいつも、過酷な救助活動のあとにほっとして食べた食事は何かを聞くことにしているそうですが、その中でも印象に残っている話として、家族が避難して誰もいない自宅に戻ると、冷蔵庫に、父親が「頑張れ」と書いた付箋が貼られた牛丼だけが残されていて、その牛丼の味が忘れられないと話してくれた消防士さんのエピソードを語ってくれました。

このように、これまでの取材や著作の経緯を踏まえ、今、被災地で行われている「復興」事業は、例えば、ロボットフィールドでは先端的な研究が軍事転用され、政府の「復興」の文脈と「軍拡」の文脈の類似性が透けて見えるようであり、誰のための「復興」なのか、被災者のための「復興」事業がなされているのかという疑問を呈されていました。
そして、一部の最後に、原発避難者や被災された方への思いを込めて、吉田さんと島弁護士のデュエットで、島弁護士のバンド「NO NUKES RIGHTS」のオリジナル曲「長い夜」を熱唱して終わりました(さて、お二人の歌はアーカイブに残るのでしょうか)。

第二部は、原発問題だけではなく、様々な社会問題に若い人たちを巻き込むためにはどうすればよいか?という悩みからスタートでした。
島弁護士によると、今はもうロックをする人がいない、原発関係の集会にも高齢者ばかり集まって若い人が参加しないなどの課題を打ち明けていましたが、吉田さんは、地球温暖化であったり、新しい時代の切り口には関心のある若者がいて活動していることから、若者に関心を持ってもらい、一緒に活動していくためには(年長者である)自分たちも変わっていく必要があると指摘されていました。

そして、現在も係属している「311子ども甲状腺がん裁判」に話が及び、公文書問題などを含めて、安倍政権以降、強いもの(権力側)が好き放題する、やったもの勝ちというような、事実や物事の本質から目をそらし、不都合なことはなかったことにするという昨今の政府の対応について、一般国民の意見を聞くという姿勢が忘れられているなど、現代への静かなる怒りを感じました。
会場の参加者からも、水俣病の問題の頃から本質的な体質は変わっていないという指摘がなされたように、多くの国民が感じ、政治不信を招いている大きな問題といえます。

吉田さんは、これまで多くの被災者の取材をしている中で、被害を受けた人と会うことに、自分は許されるのかという怖さを感じているというお話をされていましたが、一方で、出版や賞を受賞することで読者に読んでもらえることは、取材対象となった人の声を伝えることになるのでうれしいともおっしゃっていました。そんな吉田さんは、見た目のやさしい雰囲気とは異なり、その本質はしなやかで骨太な人だと感じさせるお話しでした。